Wednesday, February 21, 2018

訳:狭衣物語2

 このころ、堀川の大臣とお呼びして関白を務める人は、上皇の一条院様今上天皇陛下などと同じ母から生まれた第二皇子なのである。その母君も代々天皇の血筋であり、いずれの血筋からしても、おしなべて同じ大臣と申し上げるのも非常におそれ多い身分であるが、前世の何の罪でか臣下になってしまったのだ。それでも、亡き父帝のご遺言のままに代替わりした後、天皇陛下はただこの方の意向に政治をお任せになったので、たいへん好ましい結構なご境遇である。

 二条堀川の辺りを町四つ分築地塀で囲い、三つに隔てて築き上げた各々の玉楼に、奥様三人をお住まわせになっている。その堀川寄りの二町には、他でもなく血筋の遠くない亡き父帝の妹君で、かつての斎宮様(※伊勢神宮に奉仕する皇女)がいらっしゃる。洞院邸には、ただ今の太政大臣のお嬢様で、一条院様のお后様の妹君、つまり皇太子様の叔母だが、世間の評判や内々の様子も華やかに裕福そうである。坊門邸には、式部卿(※式部省長官にある親王)だったお方のお嬢様が、三人の中では心細げな境遇に違いなかったけれど、絶世の美しい姫君を一人お生みになったので内裏に入内させ、このごろ中宮様(※新しい皇后)とお呼びしている。今上天皇陛下の第一皇子までお生みになったご繁栄ぶりから、むしろ他の奥様よりめでたく、行末頼もしいご境遇にある。

 こうした中でも、斎宮様(※かつて斎宮だったためこう呼ぶ)は親代わりとして預かり接していたので、尊くおそれ多いという面でも、顔・容姿・気質の面でも並一通りではないと思っているお方だが、さらにはこう秀でてこの世の物とも思えない男児をも、一人お生みになったのだ。どうして世間並みに愛らしく思うということなどあるだろう。千人の中だって、まったくこのような子なら、親の心としても、どうして誰よりもと思って大事に育てないことがあろうかと思われるのである。このごろは年齢が二十に二つほどだか、足りないくらいだろう。二位中将だと見聞きする。普通の家柄の人でも、これだけの年齢では、納言にでもなるべきところなのである。だが、その風采がこの世の物とも見えないために、万事を恐れてのことからなのだろう。これでさえ、母君は、「まだ子供みたいなものですから」と、弱々しく、忌み慎むべきというまでご心配なさっているようだが、人並みの殿上人として宮仕えしないとしたら心苦しいと、天皇陛下などが世渡りをさせたのだった。

 《私たちの子は「第十六我が釈迦牟尼仏(※法華経にあるように第十六子は私つまり釈迦だ)」と、この世の光のためと、いかにも顕われたのだ》などと、おそれ多く早世が不安なものだと思って、雨風が荒い日にも月の光が明るい日にもお接しになるのだが、気の毒で不吉なものと思い続け、空を覆うほどの袖が拡がり絶え間ないようなものだ。だからあまりに仰々しいご愛情を、大人びるにつれて窮屈に感じられる時もあったにちがいない。夜なんかでたまに密かに外出なさるときは、毎夜ご両親ともちっとも寝られず気がかりだと嘆き打ち明けなさるのだが、顔を合わせると思うままに諫めることもおできにならないで、ただ微笑みつつお眺めになるご表情などは、言いようがないくらいしみじみとしているのである。


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冒頭に引き続いての現代語訳.
これまでの主要な登場人物:
男主人公…未だあからさまに紹介されていない.源氏の宮を慕う義兄.
源氏の宮…女主人公.男主人公の義妹.美女.
堀川の大臣…上皇一条院の弟,今上天皇の兄.亡き父帝の子.関白.
斎宮様…堀川の大臣の第一妻.亡き父帝の妹.
堀川の大臣の第二妻…太政大臣の娘.
堀川の大臣の第三妻…元式部卿の娘.中宮の母.美女.
二位中将…堀川の大臣と斎宮様の息子.美男子.

Monday, February 19, 2018

訳:狭衣物語1

巻一
冒頭

 少年期の春は惜しんでも留まらないもので、三月の二十日くらいにもなってしまった。目の前の木立が至るところ青み渡って鬱蒼としていた。その中に、池の中島の藤は《松にとのみ…(※歌にある「松にだけ…」)》とはいわず咲き垂れて、山ほととぎすを待ち望む顔をしているようであり、池の水際の八重山吹は、名所の井手の辺りと見違えるほどの夕映えの風情だった。しかし、ひとり眺めるのも飽き足らないと、下働きの愛らしい童子に一枝折らせて、源氏の宮の方に持って行くのだった。目の前に、中納言や中将など女官達を添わせて、宮が思い任せに絵などを描いて脇息に寄りかかっていた。
「この花の夕映えが、いつもより風情がありますよ。皇太子様が満開になったら必ず見せてくれとおっしゃっるほどなのに。」
と言って置くと、少し上体を起こして見遣る眼差し、顔立ちなどの美しさは、山吹の匂いや藤のしなやかさにもこよなくまさって見え、いつものように胸いっぱいになってつくづく見惚れるのだった。
「花こそ花の…」
と食指を動かして山吹をまさぐっている手付きが、花にいっそう引き立たされてこの世に二つとないほど美しいと、人目も気にせず我が身に引き寄せたい衝動にかられるさまの、なんと甚だしいことだろう。
「クチナシの色に咲き染めたこの運命が、口惜しい。心の中はどんなに苦しいことだろう。」
と言えば、女官の中納言が、
「とはいえ、言の葉は数多くございますのに。」
(※口無しと言っても、花の少ない梔子には葉が多く、梔子を詠んだ和歌も数多いのに)
と言う。

 いかにせむ言はぬ色なる花なれば 心のうちを知る人ぞなき
 (※どうしたものだろう、言わぬ色の花なので、心の中をわかってくれる人がいない)
と思い続けないではいられなかったが、その思いをわかる人はまったくいないのだ。

 《立つ をだまきの(※歌にある苧環のように繰り返し立ち昇っている)…》とふと嘆いて、戻った自室で柱に寄りかかって座っている様子は、なお並々ならぬ様子に見えるのだった。たわいもない恋のせいで、これだけ立派な身なのに、《室の八島の煙ならでは(※歌にあるような室の八島に立ち昇る水蒸気でなくては)…》と思い恋焦がれているさまが、なんとも心苦しい。

 そうはいっても、その《煙》のありさまを伝えようとするのも力及ばないとか、どのような手段で伝えようかなどと、思い患っているのではない。ただ、幼少から少しも隔てなく育って、親たちをはじめ、世間の人々、天皇陛下皇太子様も、同腹の兄妹と思って扱っているのに、私は私だとこのように恋し始めて思い悩み、そのことをほのめかしたところで甲斐ないものだからなのだ。《しみじみとやり取りしてきたのに、「思ってもみなかった心があったなんて」と思われ、疎ましがられるのが落ちだろう》とか、《父母なども、「類のない愛情だ」と言いながら、このことは「じゃあ、好きにしろ」とも決して認めないだろう。世間が聞いて思うことも、知りたくもなくけしからんと言われるだけだ》と、とにもかくにも世間の非難は必至なのである。だから、あってはならないことだと深く悟るにつけても、都合悪くも心はますます思い乱れ募って、《最後には心も身もどのようなさまになってしまうことか》と心細く…。今にはじまったことではないが、そうでなくてもなお世の中にあってはならないことは、あまり万事優れているような女性のお側には、実兄でないであろう男を、その人がどんなに立派であっても親しくさせて育ててはならないということだったのだ。


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内容や現代的な冒頭に惹かれて,以下の本を基に訳してみた.その底本は、いわゆる「流布本系統」の一つである旧教育大本.ただし時期の異なる2つの写本が合わさった4冊ものらしい.オンライン公開されているものでは、これが近いか.狭衣物語の写本は数多く,互いに異なる部分は多いという.

参考:
  • 鈴木一雄校注,『狭衣物語』(新潮社・1985).